人類を愛してる

リアルなのが好き

マヨネーズと自意識

新型コロナウイルス(Covid-19/SARS-CoV-02)が猛威を振るっている。

日本で20代の死亡者は未だ出ていないが、自分が罹ったらきっと死ぬと思っているから引きこもっている。自意識過剰でしょうか。自意識過剰な年頃なのでそっとしておいてください。自意識過剰・シーズンを楽しみ終わったらきっとこの自意識の洞穴から出てゆきます。その頃にコロナウイルスの流行が収まっていればきっとこの部屋からも出てゆけるでしょう。

 

おうち時間がトレンドになっている。ファッション的に自由に追えるトレンドではなく、命の危機に晒されるから皆が追わざるを得ないトレンドである。人類はある程度の危機の中で安全を求めつつ文化的な営みもできるとわかって興味深い。人類、器用だ。私はおうち時間のうち90%を横たわって過ごしているので不器用な部類に入るかもしれないが、音楽を聴き、映画を観て、時々論文を読み、アプリ版のどうぶつの森で世界を統べている。本当はSwitchが欲しいがどこにも売っていないので仕方がない。ちなみに全世界のNintendoの公式ページから可能な限り在庫を調べたが日本に取り寄せる術はないことを確認できただけだった。

 

SNSを見る限り、都内の友達も地方の友達も基本的に家に引きこもっているように感じる。みんなも私と同じように自意識過剰なのだろうか。友達の1人がインスタグラムのストーリーに「週4で冷麺食べてる」と家で作ったらしい冷麺の写真を添えて投稿していた。週4で冷麺ってなに?

 

冷麺の写真を見ると去年の夏に行った東北旅行を思い出す。4泊5日で東北4県をレンタカーで走り回った。間違えて誰もいない真っ暗な大内宿に行ったり、間違えて仙台で終了5分前のビールフェスらしきところに行ったりして非常に良い時間を過ごした。

 

岩手では盛岡を観光した。駅前のパン祭り、盛岡手づくり村、イオンモール盛岡のH&M、岩山パークランド、盛岡駅の駅ビルの地下でテイクアウトした味のしないほうじ茶タピオカなど思い出はたくさんあるが、ここで述べたいのは盛岡駅前で食べた盛岡冷麺についてである。

 

うどんやタピオカ、団子、白玉、餅、ハムスターなど、モチモチな食感のものを好む私が冷麺を好きにならないわけがなかった。言うことなし。芸術的でさえある。芸術点満点。私が盛岡冷麺の教授ならその場で推薦状書いてた。

 

ところで、私は盛岡に行くまで、冷麺と聞いて北朝鮮の名物である平壌冷麺しか浮かばないくらい冷麺に関する知識が不足していたし、偏っていた。

せっかくなのでここで私が調べた平壌冷麺と盛岡冷麺の違いについて触れておこう。

 

✴️平壌冷麺

麺:太くて黒っぽく噛み切りやすい。そば粉、トウモロコシやジャガイモのでんぷんが原料,

具材:味付けしてある肉類・ゆで卵・キムチ・錦糸卵・ナシなど

スープ:肉で取ったダシと大根と水キムチの汁トンチミを加え透明で淡泊な冷たいスープ

 

✴️盛岡冷麺

麺:白黄色っぽくコシが強い太麺。小麦粉、ジャガイモのでんぷん、片栗粉が原料。

具材:キュウリ・キムチ・カクテキ・ゆでたまご・牛すね肉またはチャーシュー・ねぎ・貝割れ・果物(リンゴ、スイカ、ナシなど)

スープ:牛骨と鶏ガラからとった出し汁

 

ちなみにもともと朝鮮半島には平壌冷麺(ムルレンミョン)と咸興冷麺(ビビンネンミョン)の二種類があって、盛岡冷麺は咸興冷麺の遺伝子を継いでいるらしい。

さらに詳しく知りたい方はこちらからどうぞ↓

http://i-namamen.com/reimen.html

https://taberugo.net/

 

とりあえず盛岡冷麺から作るとして、作るなら麺もスープも自家製がいい。仲の良い友達は最近おうち時間の一環で手打ちうどんを作っていた。私も手打ち冷麺したい。あと冷麺作って食べるなら絶対ステンレスの器で食べたい。こういうやつ。

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ここで疑問が生じた。私はこのステンレスの器を他にどうやって使うべきなのだろうか。というか、他に用途はあるのだろうか。

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しばらく考えを巡らせているといいアイデアが浮かんだ。果物でも飾ろうか、こういうイメージで。

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フルーツボウルである。私はフルーツボウルに強い憧れがある。果物を盛るための皿なんて好きでしかない。果物を愛しているからである。人類の次くらいに愛している。

 

もし私が創造主なら、1-2日目のムーブはそのままに、3日目に大地と海を分けて植物を創るときに果物に特に注力して精巧に創り、4日目に日と月と星を創った後にあらゆる果物のなる木を創ってそれをFruit Buffet(フルーツビュッフェ、以下FB)と名付け、5日目に水に住む生き物と鳥を創って、FBを繁殖させまくり、6日目に動物とそれを治めるための人間の男女を創り、FBだけが生える島を創って人間の男女をそこに住まわせる。7日目には休息しつつ人間を操作して果物や魚や虫を集めてどうぶつたちに配らせ、可愛いどうぶつだけをF. B. Islandに招いてレベル上げをするし、その後アダムとイヴが林檎を食べても全然怒らない。

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話が逸れたと思った?いいえ。冷麺のレシピをもう一度ご覧いただきたい。ここで皆さんには具材に注目してほしい。平壌冷麺と盛岡冷麺のどちらにも梨が入っている。私はここで冷麺に梨を入れること、つまり、料理に果物を入れることについて論じたい。

 

冷麺に梨。ピザにパイナップル。かき揚げに無花果。パスタに桃。ハンバーグにパイナップル。ポテトサラダに林檎。サラダに金柑。酢豚にパイナップル。

 

あなたはこれらの料理を許せるか。

 

これらを許せない人が多くいるのは知っているし、多様な価値観は尊重されるべきだと考えている。同様に、皆さんには私がこれらを許せるということも認めていただきたい。

 

私はおかずに果物が入っていても前向きに捉えることができる。よくわかんないけど果物食べられてラッキー🥰🤞という気持ちである。母が気まぐれでケーキを買ってきたからよくわからないけれど今日はケーキを食べられるやったあ、そういう高揚感に似た感情である。

 

しかし私にはかつて明太マヨを許すことができなかったという過去がある。中学時代である。思春期特有の強情さからであろうか、好きな明太子をマヨネーズに台無しにされたと感じた。明太子と、明太子を愛する私への侮辱である。初恋の人に幻滅したときのような怒りと失望をおぼえた。私はマヨネーズを許さないことを誓い、父が好むマカロニサラダを口にすることを拒んだ。大好きな叔母がマヨラーだと知って嫌いになりかけた。

 

その後幾つか恋愛を経て、今の彼に出会った。彼はマヨネーズを愛する男だ。一度決めたことは曲げない。マヨネーズを愛すると決めたら愛し続ける、そういう人だ。

 

そんな彼と私の間には愛がある。私が永遠にマヨネーズを好かずとも、その愛が左右されないのは知っている。彼はそういうことを気にしない人だから。しかし、愛する彼が愛するマヨネーズである。私はマヨネーズに対する態度を改めるべきではないだろうか。私がこれについて深く考えているのには理由がある。

 

なにかの因縁だろうか。マカロニサラダを食べなかったからではないのは理解しているが、父はその数年後に妻と子を残して家を去った。マヨラーを理由に嫌いになりかけたからではないのは理解しているが、大好きな叔母は患っていた癌をその数年後に悪化させてあっけなく亡くなった。

 

マヨネーズを好かずとも彼との愛は変わらないと書いたが、愛は変わらなくても幸せな時間はいつまでも約束されないかもしれない。そんなことは父と叔母を失ったときからわかっているはずなのに、それでも私はマヨネーズさえ愛せないのか。小さなプライドよりも今の幸せを守りたい。

 

マヨネーズを赦し、愛する時が来たのかもしれない。

 

記念すべき瞬間である。10年後に大物になったときに人生の転機についてインタビューされたらこの瞬間を答えよう。自意識過剰でしょうか。